結論
明治維新で石城は藩校の教頭に抜てきされた。探究心を育む環境が、豊かな実りを生んだ実例だ。
理由(下記3点)
- 石城は、古典から公家諸法度、歌舞伎の興行年表、庭や花づくりに関するものなどジャンルを問わず様々な書物を読んでいた。
- お金が乏しかったので、写しながら読んだ。
- 交遊を通じて知的欲求を強めた。
言葉の定義
尾崎石城(おざきせきじょう)とは
明治維新の際に、岸嘉右衛門らと共に大いに忍藩のために尽力。その才識が認められ、明治元年に設立された藩校「培根堂(さいこんどう)」の教頭に任ぜられる。廃藩置県のあと、明治政府に登用されて宮城県大主典に任ぜられる。明治7、8年ごろに、任地にて病没。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/尾崎石城
